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「これくらい分かるだろう」が通じない世界:90年代の海外エンジニアとの分散開発

エンジニアリング本質論 公開: 2026.03.09
#分散開発 #異文化コミュニケーション #オフショア開発 #技術文書

1990年代後半、日本のIT業界は深刻なエンジニア不足に直面していた。二千年問題への対応が迫る中、状況は一層深刻だった。当時、私はITベンチャー企業を経営していたが、エンジニアを募集しても冷やかしの電話すら来ないほど。就職情報誌の担当者が絶句したことを今でも覚えている。

大手人材紹介会社からは、こんな言葉を投げつけられた。

「こっちはね、今週中にキャノンに100名、IBMに200名を紹介しないといけないのに、まだ半分も確保できていないんです。だからおたくみたいな中小企業の相手はしてられないんですよ!」

今ならこんな発言、録音してSNSで晒してやるところだが、当時はそれも叶わず。そんな状況の中、私たちは海外に目を向けることにした。

1週間、1行もコードが書かれなかった

resume.comというサイトで出会った海外エンジニアとの最初の仕事は、今でも鮮明に覚えている。当時の私は、社内で日本人エンジニアに指示を出すのと同じような感覚で、簡単な英文のメールを送った。時差が7時間、しかも相手は夜型だった。仕事終わりにメールしておけば翌朝には返信が届く。時差を利用した効率的なスタイルだと考えたのだ。

翌日届いた彼からの返信は、予想外のものだった。いくつかの質問と、私の拙い英語の添削が記されていたのだ。確かにその添削は勉強になった。しかし、その後1週間、質問と回答のやり取りが続くばかりで、実際のプログラムは1行も書かれていない。

そこで私は、仕様を事細かに詳しく記述した。考えられる質問をすべて想定し、先回りして説明を加えた。下手くそなりに、可能な限り丁寧な英語を心がけた。時間もかかった。

文章量は10倍以上になった。

翌日、彼から返ってきたメールは驚くほど短いものだった。

「理解できました。ありがとう。」

そして数日後、私の期待通りに動作するプログラムが届いたのだ。

暗黙知は国境を越えない

この経験から私は重要な教訓を得た。

文化も言語も異なる相手と仕事をする時、「これくらい分かるだろう」という前提が通用しない。いわゆる「暗黙知」や「常識」は、国や言語が異なれば通じないのだ。皮肉なことに、私自身が開発していたのは翻訳ツールだった。スクリーン上のあらゆる文字をホバーするだけで、読み取って辞書を引いたり文章を翻訳する世界初のツールを作っていたのだ。翻訳ツールを開発している人間が、自分のコミュニケーションを翻訳できていなかった。

それまで数分で書いていたメールに、1時間以上かけるようにした。「これくらい書かなくても分かるだろう」という考えを捨て、丁寧に細かいことまで説明するように心がけた。効果は劇的だった。

この方法論は、後のオフショア開発でも、そして今のAIとのコミュニケーションでも、そのまま活きている。AIに曖昧な指示を出せば曖昧な結果が返ってくる。詳細な仕様を渡せば、期待通りのコードが返ってくる。相手が人間かAIかは関係ない。「これくらい分かるだろう」は、いつの時代も通じないのだ。

日本はなぜプログラマーを軽んじたのか

しかし、こうした異文化コミュニケーションの知見は、日本のIT業界では長らく価値を認められなかった。日本では伝統的に「プログラミング」という作業自体の評価が低く、単価も安い。職人を下に、管理職を上に見る文化が強く、その結果「管理職SE」が増え続け、実際にコードを書くプログラマーは海外に依存する構造が定着してしまった。

1990年代から始まったオフショア開発は、実は人材確保よりもコスト削減が主目的だった。「作る人より管理する人を重視する」文化から生まれた歪みだ。異文化とのコミュニケーションはブリッジSEの仕事であり、管理者SEには無縁のもの——そういう認識が支配的だった。

経済産業省の調査によれば、「業務外で自主的に勉強している」SEの割合は19.0%で調査対象国中最低。なぜ自己研鑽意欲がこれほど低いのか。一言では説明がつかないが、人を使い捨ててきた歴史が一因であると、私は思っている。

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